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人間道場
タイトル「食い逃げ」

東京で頑張った、やるだけやったんだ。
ただ、それをわかってもらえなかっただけなんだ。

上京した時のあの気持ち、見るもの全て新鮮で、毎日が刺激的で、いつ頃からだろう、
いつの間にかどうでもよくなった。とにかく生きることが毎日辛くて、
もう東京には僕のやるべきことなんて無いし、やりたいことも無いんだ。
だから、故郷へ帰ろうと思った、でも、帰ってどうしよう、まてよ、
東京が嫌いなんじゃなくて、生きることが嫌になったんじゃないか、
そう、もう生きていたっていいことなんてありゃしないんだ。
IT企業の社長になれるわけじゃなし、綺麗な女と結婚できるわけじゃなし、
もう考えるのも疲れた、大人になるって難しい事だったんだ。
大人になったら、大人になったら、って夢ばっかり語ってたけど、
いつのまにかすっかり「いい」大人になっちゃったよ。

「はい、おでんお待ちどうさま」

「あ、はい」

「お兄さん久しぶりだね」

「え!」

「去年も来たろ、大晦日に、これで4回目だね」

「え、ええ、よく覚えてますね」

「大晦日だからねえ、故郷はどこだい」

「え、ああ、新潟です」

「大晦日だよ、帰らないのかい」

「え、ええ、まあ」

「帰ってやんなよ、親も喜ぶだろうに」

「いやあ、へへ」

「沢山食べな、けどあんた、ほんとに沢山食べるねえ、
感心しちゃうよ、やっぱり若いってのはいいやね」

「す、すいません」

「やだね、褒めたんだよお、あたしはいくら食べてもらっても
お代をもらえれば儲かっちゃうんだからさ」


なかった。

お代がなかった。東京へ来てから覚えたものなんてロクなもんじゃない、
酒、夜遊び、ゲーセン、競馬、パチンコ、風俗。
最初の会社の給料は一銭も残らず使った。
アパートの家賃も6ヶ月滞納して追い出されたばかりだ。
カードのローンもたっぷり残っている。

死のうって決めたんだ。今日。思い残すことなんてないんだ、
いや、思い残すことすら作れなかったんだ。
この店で腹いっぱい食べて、最後に食べてから死のうって、
けど、食い逃げするつもりが、
ステーキや寿司やフランス料理なんかじゃなくて、
こんな小料理屋でなんでもないものばっかり食べて。

やっぱり俺なんて出世するタイプじゃ無いわけだ。
でも、大金持ちだって死ぬ間際に食べたいものは、
って訊かれて「ラーメン」て言う人も多いっていうしな、
案外最後に食べたいものって普通なものなんじゃないだろうか、
いや、そんなこたあどうでもいいんだよ。
でもなんで今日はおでんに玉子が入ってなかったんだろう、
大好きなのに、おでんの玉子。死ぬとしたらそれだけが唯一心残りだ。
そんなつまらないことを心残りにする俺自身が情けないか。でもなあ。

さて、そろそろお腹もパンパンに膨れちゃったし、
あとはどうやって逃げるかだ。死に場所は決めてある。

食い逃げ

払えない額じゃないんだよ。だったら払えばいいじゃねえか。
うん、でも今現在一銭も持ってねえ。さて、どうしよう。
俺食い逃げなんてしたことないし、当たり前だけど。
冷静に考えよう、死ぬってのに食い逃げ程度でうろたえてたまるか。
不思議と諦めがついた時ってこんなにも冷静に考えられるもんなんだな。

よし、まずは店内の状況の把握からだ。
10人ほど座れるカウンターの中に店のおかみが一人、
カウンターの中にいる時に逃げれば楽勝だ。

次に客席。カウンターにはまず、常連ぽいオヤジ、こいつはほろ酔いだ、
問題ないだろう。会話から察するにきっとおかみに惚れてるっぽいな。
それとなくアプローチをかけてはいるけど、
おかみは全く相手にしないどころか返事すらしない。嫌われてんだな。

そして入り口に一番近い席に男がひとり。俺と同い年ぐらいだと思う。
冴えない顔のくせに俺と同じぐらいの量を食べてやがるぜ。
痩せてて頼りなさそうだ、俺のほうが体格がいい、いざという時でもなんとかなる。

重要なのはタイミングだ。入り口に一番近いテーブルとはいえ俺はひとり、
会計もせずに出ようとすれば呼び止められるだろう。
だから店内にいる人間が皆何かに注意をひきつけられている時に
一瞬で脱兎のごとく逃げるしかない。
最も月並みなやり方だけど、一番リスクの少ない安全な方法なのだから仕方がない。

一瞬だ、その時を逃したらビビッてる俺にはチャンスが来ないように思える。
思い切ってやるんだ、でも、こんな時に限っておでんに玉子が
入ってなかったことが妙に心残りだなんて、本当に俺はダメだなあ。

パリーン!


「やだ、グラス落としちゃった」


まさか!こんなタイミングって!来た!来たぞ!願ってもないチャンスだ、
おかみはしゃがみこんでガラスの欠片を拾っている。
常連オヤジは心配するようにカウンター越しに
身を乗り出しておかみに話しかけている、
とにかく今が一番のチャンスなんだ、カウンターの若者は…


ガタッ
ガラッ
ダダダダッ

まさか!

「ん、あ、おい、なんだ、おい、あーっ、ママ、あいつ食い逃げだ!」

ガタッ

「俺、追いかけてくるわ!」

ダダダッ


信じられない。目の前で起こったことが信じられない。
なんてことだ、同じ店で、同じ日の同じ時間に、
まったく同じタイミングで食い逃げしようというやつが現れるなんて、
誰が予想出来ただろうか。こんなことまるで奇跡じゃないか、どうなってんだよ。
どうしよう、このどさくさにまぎれて逃げるか、男が二人出ていったんだ、
さっきよりも何倍もチャンスじゃないか。

あまりの衝撃にドキドキしたよ、あ、やばい、おかみがカウンターから出てきた。
くそう、もうちょっとだったのに。

「お代はいいから、帰んな」

え、なに、なんだって?

「持ってないんだろ、お金」

え、どうして、なんでそれを。

「食い逃げしようとしてるって顔に書いてあるよ、
わかるんだよあたしゃ、食い逃げはね」

え、あ、あ。

「あんたの驚いた顔、今の食い逃げ見たんだろ」

はい

「あの子さ、とっくに死んでんだよ」

え、え、なに、どういうことですか

「たぶんうちで食べてから死ぬつもりだったんだろうね、
食い逃げしようとしてさ、鈴木さん、あ、もう一人いたおじさんだけどさ、
あの人に追いかけられて、逃げる途中でトラックにドーンさ。
きっと死んだことに気づいてないんだろうね。毎年大晦日になると来るんだよ、
必ず食い逃げしてさ。きっと逃げ切れるまで諦めきれないんだろね。
バカだよ、つまんないことで命落としちゃってさ。
だから毎年大晦日に来ると料理出してやってさ…
だから、あたしゃ食い逃げはわかるんだよ」

「ただいま、ママ」

「ごくろうさま」

「ママ、今年もやっぱり来たね、あいつ」

「今年も逃げ切らせてあげたのかい」

「うん、でもさ、あいつ年々逃げ足が遅くなってるよ」

「遅くなってるのかい、どういうことだい」

「もしかしたらさ、あいつ、逃げ切りたいんじゃなかったのかもしれねえな」

「どういうことだい」

「あいつもしかしたら俺に捕まえて欲しかったのかもしれねえよ、それが心残りで」

「そうかい、そうなのかも知れないねえ」

「来年も来たら捕まえることにするよ、まったく可愛そうなことしたよ、
あの時、俺が追いかけてさえいなければこんなことに、それだけが心残りだよ」

「もうしかたがないことだよ、
鈴木さんが悪いんじゃない、自分を責めちゃだめだよ」

「テーブルの兄ちゃんももう帰ったのかい」

「うん、今帰ったとこだよ」

「あの兄ちゃんも毎年来るなあ」

「きっと自殺する前に何か心残りがあったんだろうよ」

「そんなもんなんかねえ、これでやっと安心して俺たちの一年も終わるなー、ママ」

「そうね、来年もよろしくね」

「じゃ、俺も帰るとするか、いくらだい」

「いいのよ、お礼におごるわ」

「毎年悪いね、じゃ良いお年を」

「良いお年を」







「あーあ、今年も生きている客は一人もこなかったわねえ」


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