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# 狂人
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 何年か前、異常な病気が流行ったことがあった。簡単に言うと、発作。つまり所かまわず突然発狂し、我を見失って暴れ放題するといった症状だ。そして発作がおさまった後は、前後のことも含めてまったく本人の記憶は無い。
 発作中の様子はまさに、野性に返る、といった表現が適当で、その恐ろしい症状に加え、どんなに高名な学者達の調査によっても原因も治療法も一向に明らかにならないという点で、人々はこの病気、そしてその患者を非常に恐れた。
 初めは医師たちも懸命に治療に当っていたのだが、なにせ解決法はないし、治療中に発作が起ころうものなら、医師も看護師も自らの命を守るので精一杯になるほどであったので、いつしか患者専用の隔離病棟が各地に秘密裏に作られるようになった。
 もっとも、秘密裏に、というのはもちろん建前上の話である。すなわちいくら発狂したとはいえ、人間をその意思に反して隔離病棟に半ば監禁してしまうのは人権侵害である、という我々独特の"建前"が、おおっぴらに彼らをそこへ送り込むことを阻んだのである。
 すなわち国民全員の本音では、病棟の建設は大賛成であった。自分がそこへ送られる可能性も無いとはいえないのだが、やはりこのような患者に身近にいてもらっては困るという考えのほうが大きいのである。
 かくして、隔離病棟が各地に建設された。決して崩れることの無い特殊合金の壁、辺りを深く覆う森林。各部屋には特殊強化プラスチックの窓が一つだけ設置され、他には寝具すらも置かれない刑務所以下の建物。人々はそのあまりに恐ろしく不気味なたたずまいに慄き、畏怖と多少の皮肉を込めて、この建物をこう名付けた。
"Going Mad's Room"(GMR、狂人達の部屋)と。
 そして多くの患者達がそこへ送り込まれ、一生を過ごした。一旦ここへ送られて、病気を治して出て来れた者は皆無だった。そもそも診断する医師がいないのだから当然だが。一日に一回、看護師が震える手で食事をそっと部屋へ送り込むとき以外、外界からは完全に遮断された空間であった。窓から見えるわずかな景色、それだけが、狂人達にとって世界のすべてであったことだろう。

「・・・ふぅん、信じられないな」
 半身をベッドから起こした状態で、男はそう呟いた。男は名を中村といい、今まさに、自分がいる病棟の歴史についての記事を読み終えたところだ。診断を受けて病棟に入る際、医師から「部屋について一人になってから読むように」と言って渡されていた手紙のようなものだった。
 彼がいま「信じられない」と言ったのは、その部屋の様子の違いからだった。確かに建物の入り口には"GMR-7号棟"と書かれていたし、特殊合金の壁や特殊強化プラスチック製の一つしかない窓については同じだが、ベッドもトイレもあるし、ブラウン管を通しての医師のカウンセリングもある。そして、食事も毎日三食送られてくる(ことになっている)。
 もっともこれは、近年の科学の進歩で、遠方から超高速で部屋に食事を送り届けることができるようになったからである。つまり直接人と触れ合う機会というのは、昔に比べて減り、0になったということだが。ともかく、待遇的にはかなりさっき読んだ話とは食い違っているのだ。
「どういうことなんだ?」
 彼はこの疑問を、第一回目の食事の後、同じく第一回のカウンセリングの最初に医師にぶつけた。実は自分が何故ここに送られたのかというのも疑問であったのだが、それはまぁ大体察している。記憶は無いが、そういうことなのだろう、と。もちろん納得はしていないが。
「それはだね・・・」
 一瞬の沈黙の後、医師が答えた。
「君がいま唯一の患者だからだよ。昔は数多くの患者がいたから対応などできなかったが、今私たちは君を治すことに専念すればよい。それならば、より良い待遇を与えてあげるのが正しいというものだよ。君はあくまで患者であって、犯罪者ではないのだからね。・・・ま、記憶の無いところで27人に対して傷害罪、うち7人に対して傷害致死なんだが、これは無罪だから気にしないで」
 なるほど、そういうことか。彼は納得した。つまりは、いま世界中でこんな所に閉じ込められているのは俺だけということか。そう思うと、先程待遇が良いなどと思った気持ちは消え失せ、言い様のない孤独感が彼を押し潰した。
 と、不意に発作。
 気づくと彼は、頭から血を流しながら、わずかな傷とたっぷりの自分の血がついた壁を呆然と見つめていた。初めて、自分の発作の恐ろしさを知ったのだ。
 そこに、医師の声。
「まぁ落ち着きたまえよ、中村くん。どうあがいたって君はここから出ることなどできないさ。僕のカウンセリングにおとなしく耳を傾け、病気を治すことだけが、ここから出る唯一の方法だよ」
「・・・うるせぇ。それより、一つ聞いていいか?この頭の傷はどうするんだ?治療は?」
「ははっ、そんなもの!」
 放っておくに決まってるだろう?と医師は言った。彼曰く、ここに入ってきた患者(医師たちは陰で、囚人、と呼んでいた。そのままだ)の死因は、九分九厘が発作中に負った傷なのだそうだ。そりゃそうだろう、こんなひどい傷を手当もしないまま上塗りしていけば誰だって死ぬ。中村はそれを聞いて、自らの命がそう長くないことを知った。
 結局初めに医師の言った、君を治すことに専念する、という台詞は、詭弁以外の何物でもなかったのだ。それを悟った彼は、医師にこう告げた。
「もうてめぇのカウンセリングはいらねぇ。飯もいらねぇ。もちろん、傷の治療もだ。すぐに俺の前から消えろ」
「いいとも、そうしよう。もとより望むところだよ。はははっ」
 医師は予想通りの快諾っぷりを見せた。だが、ひとつ注文を残した。
「だが、飯は送らせてもらうよ。せめてもの情けだ、ありがたく受け取ってくれ。それでは、永遠にさらばだ、中村くん」
 胸くそ悪い笑いを最後にもう一度残し、医師はブラウン管から消えた。なにが、せめてもの情けで飯は送らせてもらう、だ。魂胆は丸見えだ。大方、食事代を治療費に大きく上乗せして取っているに違いない。
 直接手を下す必要のある傷の治療と違って、食事の送付はボタン一つでいくらでも金が取れるんだ。畜生が、あいつらは悪魔だ、悪魔の化身だ!
 彼にだって身寄りはある。莫大な治療費を払うことになって苦しむ家族の一人ひとりを想像した瞬間、またしても彼の理性は飛んだ。
 代わって舞い降りた野性は、彼に新たなる傷を存分に与え、去った。広がった傷口に手を当てた彼は、こう呟いた。
「長くねぇな、こりゃ・・・。わかっちゃ、いたけど・・・」
 それから彼は、ベッドに横たわり、心を落ち着けて窓の外を見た。季節はおりしも冬。枯れかけた木の枝に、黄色い葉が一枚だけしぶとくついていた。あの葉が落ちたら、俺の命も散る。まるで少女マンガのような、そんな設定を、彼は勝手に作り上げた。
 そしてそれ以来、彼の生活はじっと窓の外を見るだけとなった。

 そして2日後、その葉が落ちた。それを見届けた彼は、不意に野性に返った。まるで自らの意思でそうしたかのように。
 そして今までのように、激しくそこらじゅうに頭という頭をぶつけまくった。そして正気に返ったとき、彼は死んでいない自分に気づいた。
 どうした、何故生きているんだ。自問を繰り返した彼は最終的に、条件が軽すぎた、という結論を出した。つまり、自らの命をあんなうすっぺらい葉っぱ一枚に重ねたのがいけなかったのだ、と。そうして窓の外を見ると、今度は枝からみの虫がぶら下がっていた。
 そうだ、今度はあれにしよう。動物の命に重ねれば、少しは重みも増すに違いない。
 そう決めた彼は、今度は窓からじっとそのみの虫を見つめ続けた。もちろん、早く落ちろ、と念じながら。
 彼は死にたかったのである。もう救われることは永遠に無いという事実に直面し、早くそこから逃れたかったのである。しかし、自ら具体的に死に向かうほどの勇気も無い。ならば、発作の力を借りて。皮肉にも、自分をこんな状況に追い込んだ最大にして唯一の原因である発作に、彼はすがっているのであった。
 瞬く間に5日が過ぎた。この5日間、発作は彼を襲わなかった。あるいはこれは、治ったと見られないこともない。しかし彼は、今さらそのことに執着は無いのだ。あるのは、死へ向かう執念のみ。
 そして6日目、嵐の日だった。吹き荒れる風雨に、みの虫は自らの拠りどころを失い、哀れにも地に落ちた。それが引き金となり、彼の額には傷跡が増え、壁には血痕が増えた。
 だがしかし、まだ死ねない。死ねないのだ。初めのころの傷口はそろそろ化膿し、変色してきている。普通なら、もうすぐ死んでもおかしくは無いのだ。だが神は、常に彼に生を与えた。そうすることで彼がいっそう苦しむのを、まるで楽しむかのように。

 彼はさらに重ねるものを強大にした。すなわち、今度は枝そのものである。決意から3日、長年風雨に晒されて弱くなっていたのだろうか、それとも神の思し召しなのだろうか、どこからか飛来した黒い大鳥が枝に飛び乗った瞬間、枝はもろくも崩れ落ちた。
 そして数分後には、血だらけの額を抱えて煩悶する彼の姿。
 傷もそうだが、実は結局あの日以来、彼は食事も、水さえも口にしていない。それでも死ねぬ彼の数奇な運命は、一体何に起因するのだろうか。おそらくそれに、答えなど無い。あるとしても、それは彼が死ぬことができて初めて得られるのだろう。そしてそれは、次に何を自分の命として見るかにかかっている。彼は"森"を選んだ。
 順当なら次は、"木"にするべきだろうが、彼はそろそろ嫌気が指してきた。もとより、何がこの深い森を滅ぼせるかといったの考えなどは無い。ただ、何かが確実に起こり、そして森は滅びるのではないか、そういう何か確信めいたものが、彼にはなぜかあった。
 彼はまた、窓の外を見つめる生活に戻った。何度もぶつけ続けた右前頭部からは、何か白いものがのぞいていた。

 10日が経ち、20日が経った。しかし、何かが起こる気配は無い。
 そして30日目を迎えた日、彼はとうとう耐え切れなくなって発作を起こした。久しぶりに、いわば自発的でない発作である。そして傷を増やし、もはや当然のごとく生存した彼の目の前に、信じられない光景が広がっていた。
 窓から見える景色の中に、森が無いのだ。彼は一瞬、ふたたび発作への引き金が引かれたような気がした。
 しかし、今回はその光景の異常さに、思わず発作も引っ込んだ。そう、森が無いだけではなかったのだ。草が無い。土も無い。虫の一匹すらも存在する気配が無い。およそ世間一般で想像される"風景"というもののすべてが、そこからは完全に消え去っていた。
 唯一、空だけはあったが、それもほとんど見分けがつかない状態だった。
「何が・・・あったんだ・・・」
 彼はまったく状況が理解できなかった。しかし、たった今抱いたおぼろげな予感について、弱々と呟き始めた。
「森、どころか、風景全部の命が、消えても、俺は生きている・・・
 もしかして、この先、あらゆる生物よりも、俺は、長生きするんじゃないか・・・?」


この日、核戦争の勃発により、"GMR"と呼ばれる建物をのぞいた地球上の万物が、砂塵と化した。
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どうも、長くてすいませんでした。大会じゃなくて展示会なんだから、読みたい人だけ読んでくださいと思って、ちょっと長い小説に挑戦してみました。数えてみると、およそ4500文字。原稿用紙11〜12枚分です。ありえないね。ちなみにこのあとがきっぽいのは、それこそ読みたい人だけ読んでってカンジです(伏字だしね)。別にここに小粋なギャグとかありませんから、どうぞシカトしちゃってください。そして、もしこれを読んでくれている人がいたら、その人はものっすご注意力があってかつ優しい人だと思います。ぜひぜひこの作品に対するご意見をどしどしお寄せください(中村さんにじゃなくて俺にね)。厳しいご意見も大歓迎です。さて、こんなこと書いて余計長くしたら、次の展示者の人に悪いですよね。ごめんなさい。オチがつくわけもないので、終わります。本当にどうもありがとうございました。               土門
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