初め、その感情がどういう物なのか分からなかった。
それはある時を境に突如頭をもたげて、それ以降、折に触れて僕を苛んだ。
けれどもその感情がなんなのか、何故苛まれるのか、
しばらくの間分からないままだった。
やがてその感情が「寂しさ」と呼ばれるものである事を知った時、
僕は幾つかの年を重ねていた。その時、僕の周りには誰もいなかった。
いや、本当はいたのだろうけれど、その頃の僕の視界には誰も映っていなかったし、
それどころか、自ら映そうとしていなかった節がある。
そうする事が最良ではないと知りながら、
自らを守る事に専念するあまり、他者との交わりを極端に恐れた。
それ故に、要らぬ傷を負わせて、要らぬ傷を負った。
どうしようもなく無知で、幼かった。
そうして僕はまた幾つかの年を重ねて、他者と交わる事に対し、
それほど恐れを抱かなくなっていた。それでもどこかで線を引いてしまう自分がいた。
傷を見られたくない自分がいた。その所為でまた傷を負うと知っていたのに、
そうする事を選んだ。僕は幼いままだった。
そしてまた幾つかの年を重ねた。
その頃から僕はバレンタインでチョコをもらう者には呪詛を唱え、
クリスマスを恋人やそれに準ずる誰かと過ごす者には怨念を抱いた。
世間でいう所の幸せな生活を過ごす人々に一方通行の罵りを浴びせた。
それが僻みである事はもちろん知っていた。その上でそれをしていた。
そしてそうする事しか出来ない自分を笑った。その行為は絶大な効果を発揮し、
僕の寂しさは確かに紛れた。けれどそれはほんの一時の事で、
それが過ぎると残るのはどうしようもない虚しさと、
更に膨れ上がった寂しさだけだった。
今、僕は思う。
もう、バレンタインにチョコを
貰えなかったからといって呪詛を唱えるのをよそうと。
もう、クリスマスを一人で
過ごすからといってそうでない人に怨念を抱くのをよそうと。
彼らが幸せであるからといって僕が不幸になる訳ではないのだ。
ならば、彼らにはその幸せを存分に謳歌して欲しい。
そうすれば彼らの心には余裕が生まれるかもしれない。
その余裕が巡り巡ってそうでない人々を幸せにするかもしれない。
だとしたらそれはとても喜ばしい事で、もしかしたら僕も幸せになれるかもしれない。
この寂しさも、その影を消さないまでも小さな物になるかもしれない。
ならば、そうなる事を僕は願う。今、幸せな人がそうでない誰かを幸せにして、
その輪が巡り、やがて世界が幸せになる事を。
この願いが楽観的にも程があるという事は今の世の中を見渡せば痛いほど分かる。
それでも僕は願う。皆が幸せであるようにと。そうして、
いつか幸せや不幸という概念すら消えてしまう事を。
僕は強く願う。
オナニー直後は。
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