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先日、初恋の人の夢を見た。


僕の初恋はずいぶん遅い。高校一年のときだ。

校舎の隅に植えられた桜が、新入生を迎えるように花びらを堆積させ、その上を沢山の生徒が無遠慮に歩く。
その中でひとり、積もった花びらを踏まないように歩く女の子がいた。
背がちいさくて、腰の辺りまで届く長い黒髪が綺麗な女の子だった。

彼女とはクラスメイトだった。
僕は窓際の後ろから2番目の席で、その右斜め後ろが彼女の席だった。
僕が振り返ったときに幾度も目が会って、その度にお互いが愛想笑いをする。最初はその程度の関係だった。

初めて彼女と会話を交わしたのは、英語の授業のときだったと思う。
単語の意味が解らなくて困っていた僕に、彼女が辞書を貸してくれたのだ。
確か“sequelize”という単語だったと思う。
『これ、貸してあげるから』
『えっ、ああ。ありがとう。・・・・・・“sex”のところに印つけてもいい?』
『殴るよ』
彼女の声は蠱惑的で、その甘い声に呼び寄せられるように、僕は恋に落ちた。

人見知りする僕だけど、不思議なことに彼女とはすぐに仲良くなれた。
彼女は、その容姿や声とは反対に男っぽい性格で、僕が冗談を言うと必ず僕の頭を小突いた。
そして彼女はその声で僕のことを「キミ」と呼んだ。それがすごく心地よくて、僕も真似をして彼女のことを「キミ」と呼んだ。
彼女はイタリア料理が大好きだった。特にピザには目がなくて、おいしいカルツォーネのお店を見つけたと言っては休日に僕を連れ出した。
そこは小さなイタリアンカフェだったけど、注文したピザは本格的で大きくって、それを小さな彼女が頬張る姿がとても可愛かった。

電話で、お互いの第一印象を言い合ったこともある。
『第一印象?・・・“変な子”』
『なんでよ』
『覚えてるかな。入学式のときだけど』
『なに?』
『花びらが無いところを選んで、ぴょんぴょん跳ねながら歩いてる変な女の子がいるなって思ったらキミだった』
『ああ、それは新しい靴だったから汚したくなかっただけ』
『・・・そんなことだろうと思った』
『じゃ、次はわたしの番ね』
『どうぞ』
『授業中に振り返ってわたしを見る気持ち悪いヤツ』
『おい』

彼女と僕は思考が似ていたんだと思う。
だから僕は彼女の考えていることが分かったし、彼女もそうだっただろう。
ただ、彼女は僕よりも少しだけ頑固だったから、僕が彼女の歩調に合わせて歩く。
そうして僕はいつも彼女の望む通りの返答をした。
でも肝心な言葉は何も言えなかった。

いつまでも平行線を歩き続ける僕らの関係は、クラスが変わるとあっけなく終焉を迎えた。



次に彼女と話すことができたのは、卒業が目前に迫った3月のある日だった。
放課後、帰宅するため靴を履き替えようと下駄箱に向かうと、そこで彼女が待っていた。

僕たちは食堂の前にあるベンチに並んで座った。
校舎と食堂の連結部に当たるその場所は、屋内だがずいぶんと寒かった。
ベンチの前には自販機がいくつか並んでいた。
彼女の手袋をしない手が冷たそうで、僕は温かい缶コーヒーを買って彼女に渡した。
『ありがとう』
『・・・えっ、ああ』
彼女は、ぷっと噴き出して笑った。
恥ずかしながら僕の声は上擦ってしまったようだ。
久しぶりに交わす彼女との会話に、僕は緊張していたのだ。
暫らくしてもまだ肩を震わせて笑っている彼女に、僕は苦笑しながら言う。
『笑うなよ。寒いから口が上手く動かねえんだよ』
『キミ、実は天然でしょ』
彼女はそう言ってまた笑う。

2年前と同じように彼女が僕のことをキミと呼んだ、ただそれだけで僕はあの頃に戻れたような気になっていた。

でもそうじゃなかった。



『わたしの初恋の人はキミだって知ってた?』
唐突な彼女の告白に、僕は戸惑った。
彼女の言葉とともに吐き出された白い息は、次第に空気に溶けていく。
僕はその様子を見つめながら、自分の気持ちを彼女に伝えるべきか逡巡していた。
『僕の初恋の人は鏡に映った僕だよ』
迷った挙句、僕はいつも通り冗談を言った。
彼女は少し微笑んで、それから俯いた。
彼女の表情は長い髪で隠れてしまい、僕は視線を彼女の手元に移した。
ちょうど彼女が缶コーヒーを左手から右手に持ち替えるところだった。
彼女は、顔を上げると自販機の光をぼんやりと見つめて、こう言った。
『わたし、卒業したらすぐに結婚するんだ』
からっぽになった彼女の左手、その薬指に銀色に光るものが見えた。
僕は祝福の言葉すら言えず、況してや、結婚するなと言える間柄でもなくて、結局いつものように冗談を言うしかなかった。
『僕と?』
彼女は俯いたままで小さく返事をする。
『・・・キミじゃないよ』
その声があまりにも弱々しくて、もうぬるくなった缶コーヒーをいつまでも握り締める彼女に、僕はまた冗談を言った。
『そっか。人生には妥協も必要だからな』
そうして僕は彼女の手から缶コーヒーを奪い、それを一気に飲み干した。
その様子を彼女は呆気にとられるように見ていたが、やがて立ち上がると僕の頭を小突き、快活にこう言った。
『わたしには必要ないわよ』
もう彼女は笑顔だった。
冷えた缶コーヒーの味は、とても甘くて、でも少し苦かった。


あれからもう6年も経つ。

だから、もうすっかり彼女のことは忘れていたし、もっと情熱的な恋愛も経験してきた。
なのに今更、彼女の夢を見るというのはどういうことなんだろうか。
夢の中で僕を呼ぶ彼女の声は、やはり魅力的だった。
僕が女性の声に執着を示すようになったのは、彼女とのことがあったからだ。
夢を見た日、僕は彼女のことを思い出して切なくて、でも一日中頭から離れなかった。

翌日、僕は彼女が大好きだった大きなピザが食べたくなって、思い出のイタリアンカフェに行った。
幸いそこは僕の会社から程近い場所にあったので、昼休みを利用して立ち寄ったのだ。
窓際の席に座って、僕はまずブレンドコーヒーを注文した。
内装は新しくなっていたが、メニューはあの頃と変わっていない。
コーヒーの味は思っていたよりも苦かったが、今の僕にはちょうどよかった。
もうひとくちコーヒーを飲んで、僕はウエイターを呼んだ。











『すいません。ピザトースト1つ下さい』



人生には妥協も必要なんです(主に経済的な理由で)。

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