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ホームレスについて

私はこのサイトについて何も知らない。申し訳ない。
が、このテキストコンテストみたいなもののタイトル名から
察するに、主催者はアントニオ猪木のファンであろう。

大晦日に「祭り」と称してたくさんの人を集める。
これは、「猪木祭り」のオマージュだ。アントニオ猪木信者である
と断言せざるを得ないだろう。という事は、私と志を同じくする者だ。
となれば参加せざるをえぬと思い現在キーを打っている。

PRIDE、K-1と大晦日に興行を行い「祭り」などと称している
が、その先駆けとなったのは「猪木祭り」だ。
今年も猪木祭りを行わない模様だが、これは非常に残念だと思う。
猪木祭りのみが深みのあるエンターテイメントだった。
ぜひ復活をしていただきたいものだ。

他の格闘技興行は魅力的な選手がたくさん出ていたのは
事実ではあるが、所詮ただの殴り合い、取っ組み合いであり、
表層的ないいとこ取りでしかない。メッセージ性が薄く、ただの
バカ騒ぎといった様相だった。が、猪木祭りは違った。

2003年の猪木祭りにはホームレスに夢を見せるという
メッセージ性があった。参加した選手の顔ぶれが、他の二興行と
比較するとよりホームレスに近い顔ぶれだった。

曙や柔道などの元金メダリスト達にはホームレスの気持ちが
わかるはずがない。彼らは日の当たる場所にしかいた
ことがない。それに引き換え猪木祭り参加者の一人だった
安田忠夫は大相撲である程度の名声を得たのに借金で破門され、
プロレスに転向するも借金で破門された男だ。
どちらがホームレス一歩手前かは歴然としている。

彼が戦い、勝つ様を見れば多重債務でホームレス
になってしまった人たちにも勇気を与えられる。
また、アントニオ猪木自身、興行の直前
「元気を出せばホームレスにもなれる」
などと言い、ホームレスのかっこうをしていた。

これはホームレスになりきることによりその境遇の人々の
心境を知り、興行の役に立てようとする研究熱心さから
来るものだと思う。

ところで、いったい猪木はなぜこうまでホームレスに
執着したのか。奇しくもアントニオ猪木のテーマ曲が、
彼がホームレスになった状態を歌っているものであり、
猪木祭りのメッセージ性を暗示しているものになっている。

アントニオ猪木のテーマ曲は「猪木ボンバイエ」である。
この曲には若干人間の声が入る。冒頭の「猪木ボンバイエ」と
コーラスが連呼する。そのコーラスに答えるように
猪木が「ファイト!」と何度か叫ぶ。それからチャーラーラー
と続き後は音楽一辺倒だ。

この2つの人間の声が詩であると考えると全く無意味だ。
まず、ボンバイエの意味がわからない。そしてその答えが
ファイトであると解釈すると問答になっていない。
となると、聴き間違えているという可能性が高い。

私の解釈によれば、ボンバイエではなく「どんな家?」
そして、ファイトではなく「廃墟」といっているのではないか。
猪木、どんな家?つまり、猪木はどんな家に住んでいるの?
という質問と、それに対する猪木の答えは「廃墟」だという問答だ。

廃墟住まいというのはホームレスといっても良いだろう。
この「自分がホームレスである」という意味の歌詞が
試合が始まるとき、勝って終わるときに何年も毎日のように
聴いていたとなると催眠状態のようになってもおかしくはない。
いやでもホームレスに関心が行く。

猪木とホームレスの物語が「猪木祭り」で繰り広げられた
わけだが、残念ながら、テレビを見ている人も会場で
観戦している人もおそらくホームレスではない。

このようなメッセージ性があったとしても、
そのメッセージを伝えるべき人たちが興行を見ることの
できる環境にないという矛盾が、猪木祭りの凋落した
要因だろう。

ホームレスに関心を向けさせたテーマ曲はモハメッドアリ
から譲り受けたものだ。いわば猪木はアリに負けたと
いえるのかもしれない。そう考えると今また猪木祭りを
成功させ、アリと1勝1敗1分に持ち込む必要があると思う。
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