除夜のテキスト祭りということで、“除夜の鐘”から話は始まるのですが。


さて、除夜の鐘といえばご存じの通り、除夜、つまり古い年が取り除かれる夜である大晦日の晩に、108あると言われる煩悩の数だけ鐘を突いて、その煩悩を消し去ろうという行事です。

冷えきった空気の中、神社のたき火で暖を取りつつ鐘の音に耳を傾けたりする行為には、何かしら厳格さのようなものが感じられ、妙にしみじみとなってしまうものですが。


しかし実際のところ煩悩とは、鐘を突いただけで消し去れるものなのでしょうか。修行を積んでいる僧侶や、常日頃から禁欲を心掛けているような人ならいざ知らず、世俗の垢にまみれた凡夫でしかない僕などが何も考えずにポーズだけで鐘を突いたところで、煩悩が消せるとはとても思えません。

現実的に考えて、僕が実生活の中でどんな時に煩悩が消える…まではいかなくとも、一時的に煩悩を忘れられるか?ということをよくよく考えると、それはスポーツで爽やかな汗を流した後でも、素晴らしい芸術作品を観賞した後でもなく、単純に射精、というかオナニーをした後だという事に気がつきました。

皆さんも経験があると思いますが、オナニーしてる最中は、頭の中で女性に対して猟奇的な非道な行いをして「どうだ?さんざん見下していたデブオタである俺に犯される気分は!このっ!このっ!はーははは!(高笑い)」という感じのテンションになっていても、いざ絶頂を迎えたその直後は心が満たされて、女性を見ても変な事など考えない、むしろ「ありがとう…良かったよ。疲れなかったかい?ワインはどうだい?カレーはどうだい?」などと素敵ピロートークを展開するほどに心静かな、正に聖人君子へと変貌を遂げるではないですか。

ここで、「ええっ!?このおじさん何を言ってるの?オ、オナ…そ、そんな不潔なことアタシしないもん!アタシそんなエッチな子じゃないもん!バカっ!大体そんなことで煩悩を払うとか…そんなことできるわけないじゃない!エッチ!最低!バカバカっ!ばかあっ!」という女子も居らっしゃるかもしれません。まあ実際この傾向は、男子に限ったことかもしれません。

しかしですよ?聖人イエス・キリストは、馬屋という不浄であるはずの場所で生を受けました。同じように、オナニーという煩悩に根ざした行為こそが、実は煩悩を消し去る方法だと考えられないでしょうか。


というわけで今回は、鐘を突くだけで落とし切れない煩悩を払うために、より良いオナニーをするべく最近僕が考えた方法、その中でもオナニーのスタイル、姿勢についてのお話をさせていただきます。もちろんですが、これはあくまで煩悩を払うという目的のためだけに話すわけで、興味本位とか、ちょっと便利なオナニー方法を思いついたので…というわけではありませんので、つくづく誤解なきよう。



さて、オナニーのスタイルは人それぞれで、あぐらをかいたり床に腹這いになったりと千差万別です。しかし、基本的にはベッドや布団に横に寝転がり、視界に入るようにエロ本や同人誌等の『おかず』を並べて事に及ぶという、いわゆる『涅槃(ねはん)方式』がメジャーだと思います(図A)。





図A:涅槃方式を上から見た図



僕もこのスタイルで行うことが多いです。ただ、この方法は姿勢的には楽なのですが、おかずの配置スペース(以下パレットと呼びます)が狭く、エロ本にしてせいぜい3〜4冊が限界です。

クリック一つでストーリーが進行するエロゲームなどであればパレットは一画面で十分ですが、本の場合は基本的に止め絵のみ。漫画を使用するにしても、この姿勢では本のページをめくることが困難で、ちょっと寂しい感は否めません。


そこで僕が提案するのは、寝転がった自分の正面だけではなく、背後にもエロ本を並べておくと言う方式です(図B)。




図B:一見涅槃方式と同じだが、背後にもパレットが存在する




まず通常の姿勢でちんちんをしごき、目の前のおかずをある程度堪能したら…寝返りを打って、身体の向きを変えるのです(図C)。するとまた眼前に新たなおかずが登場し、飽きる事無く新鮮な気持ちで事に及べるというわけです。





図C:寝返りをするだけで、新しい世界が!



この寝返りの動きが、サンマやアジの開きなどを焼く時に表裏をさかんにひっくり返す動きに酷似しているところから、僕はこれを『焼き魚方式』と名付けたいと思っています。

この焼き魚方式の素晴らしいところは、単に並べられるおかずの量が増えるというだけではありません。例えば僕などは、最初に視界に入る正面側には、女の子が男を罵倒しているシーンや、足で股間を踏み付けられているシーンなどを配置しておきます。そして背面側には、女の子が陵辱されているシーンを配置しておきます。

この布陣で事に及べば、正面を向いている序盤の頃は、女の子に罵倒されつつ、足でさんざん虐められる自分を妄想して楽しめます。

そしてある程度経って反対側を向いたら…一転!さっきまで自分を虐めていた女の子を逆に虐めてしまうという、より奥深いシチュエーションになるわけです。「へっ!さっきはよくもキモオタとか言って好き勝手してくれたな!そのキモオタのチンポで感じさせてやるよ!そらっ!どうだ!ふあはははははは!(高笑い)」(←さっきとあまり変わってない)


つまりこの焼き魚方式は、自身が動くことにより、前半→後半という、時間軸を利用した演出が可能になる方式なわけです。ツンデレという二面性と時間差を持った属性が大流行した2005年を締めくくるに相応しい方式だとは思いませんか?



さて、これだけではちょっと物足りません。今回はせっかく除夜のテキスト祭りというイベントですので、さらにもう一歩踏み込んだ方法を提案したいと思います。ほら、置いていかないでもうちょっと付き合って下さいよ。



涅槃方式から焼き魚方式への移行は、パレットの位置における点から線への移行。いわば1次元から2次元への移行と言えます。しかし我々のこの世界は3次元。ならば最後の1次元である“奥行き”を利用しない手はありません。つまり、左右だけではなく、上下という概念を取り入れるのです。布陣を図にするとこうなります。





図D:焼き魚方式の上方にもおかずを配置



最初、涅槃から入り込み、寝返りを打つところまでは焼き魚と同じ展開ですが、表→裏への移行の後、じりじりと身体を動かして…。





図E:自らずり上がり、新しい世界へ旅立つのだ!



このように上方のパレットまで移動する訳です(もちろんその際に、枕は首と肩に挟んで一緒に移動して下さい)そして上部パレットの裏側にも別のおかずを配置してあるので、そこで寝返りを打つことで更なるステップを出現させることができるわけです。焼き魚方式のおかずが2パレット分だとしたら、この方式は4パレット分、2コマ漫画と4コマ漫画、どちらが多くの展開を望めるかは言うまでもありません。





図F:パレットの配列順はこのようになります



そして賢明な読者諸氏ならすでにお気付きでしょうが、この方式は、配置スペースさえ許せば、さらに数珠つなぎ的にパレットを増やすことが可能なのです。(図G)





図G:貴族の食事を彷佛とさせる、大量のおかず



思えば今まで僕たちは、おかずに対して受け身のオナニーばかりしていた気がします。今こそおかずに対して“攻め”の姿勢が必要な時だとは思いませんか?何度も左右を向きながら、少しづつ前に進んで行く…。僕はこの方式を、やはりその動きから、そして受け身ばかりではいけないという“攻め”の思いを込めて『少林寺木人拳方式』と名付けたいと思っています。


焼き魚方式も木人拳方式も、キモとなるのは『予めおかずを万全に配置しておく』ということです。とある中華料理の達人がテレビの料理番組で「日本人の奥さんは、料理の最中、食材を煮たり焼いたりしながら戸棚から調味料を取り出していますがアレはダメ。予め身の回りに使用する調味料を配置しておいて、すぐ使えるようにしておかないといけません」と話していました。何か含蓄のある言葉だと思っていましたが、つまりはそういうことですよ。

ただ実際問題として、木人拳方式はそれなりに広い空間を必要とされるので、6帖一間のワンルーム暮らしには厳しい、どちらかといえばセレブなオナニー方式と言われてしまうかもしれません。しかし、年に一度の総決算と考えれば、スペースを確保するために大掃除の一つもしてやろうという気になるものですよ。そこらへんを考慮しても、これは大晦日向きと言えるのではないですかね。


さあ、これらの方式を利用したオナニーで煩悩を消し去れば、来年こそはきっと素晴らしい年になるに違いありません。成功の秘けつを聞かれたら、堂々と「少林寺木人拳方式のおかげです」と答えようではありませんか。皆さんの増々のご発展とご健康をお祈りしつつ、今回はここらへんで。


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送