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英雄の最期


英雄は死なない。幻想と失望と孤独をその肩に背負い独り静かに薄闇の彼方へ消えてゆく。


彼が目覚めたのは10時過ぎ、いつもより少し遅い時刻だった。ベットから起き上がり、冷蔵庫を開けて茶を取り出し、ゴクゴクと音を鳴らして飲んだ。それから、適当な菓子パンで朝食。歯を磨き、着替えて、枕元にあった指輪を手に取った。内側に光を溜め込んでいるような輝きを放つ、不思議な宝石が埋め込まれている代物。もうかなり昔、故郷から旅立つときに、餞別にと渡された物である。もう長い間使われていなかったのだろうか、少し埃を被っている。彼は丁寧な仕草でそれを拭うと、右手の指にはめた。灰白色の外套をクローゼットから引 き出して着込む。仕事以外で外出するのは何ヶ月ぶりだろうか、彼は考えて、苦笑した。最後の休日からもう半年も経っていた。

今日の外出先は、まず喫茶店。街で一番大きなおもちゃ屋。町外れにある小高い丘。


外に出た。緩やかな坂道を下る。どこまでも広がる灰色の雲の切れ目から、蒼く、透き通った天空が垣間見えた。師走も今日で終わり、明日からは、また新しい年が始まる。街には活気が満ち溢れていた。年明けには大きなショッピングセンターが開店するので、この町の商店街は必死の安売り攻勢を行っていた。普段はひっそりと死人のように佇んでいる店舗群は、蕎麦やら、餅やら、正月に飲み食いするものを買いだめしようとする客で、いつにない賑わいを見せていた。丁度、蝋燭が消える前の一瞬の輝き、そのようなものなのだろうか。彼はそんな ことを考えながら、人ごみをすり抜け、少し小道を入ったところにある、或る喫茶店へと足を運ぶ。

その喫茶店は初老のマスターが独りで経営している。この店を彼は愛していた。時を吸い込んで艶やかなカウンターの色。ほろ苦い珈琲の香。欠ける所無く、全て好きだった。

木の扉を開けて、カウンターの前のいつもの席に陣取り、珈琲をブラックで一つ。

「どうも、久しぶり。最近、めっきり寒くなってきたねえ」
「ええ。・・・あれ、お客さん。その指輪・・・」
「ああ、コレか。大掃除してたら見つけたんだ、偶然。久しぶりに付けてみたんだが、何か変な感じだ」
「・・・しかし、いつ見ても不思議な光り方、しますねぇ。何て言う宝石なんです?」
「さあ。親からの貰い物だから、俺にはわからないな」


「・・・マスター、聞きたいことがあるんだが」
「なんでしょう」
「この店、もう閉店するって聞いたんだけど・・・本当なのか?」
「・・・私ももう、この歳ですしねぇ」
「そんなことは無いよ、マスター。まだまだ若い。現役じゃないか」
「ハッハ、そういってもらえると嬉しいですよ。けどね、お客さん。あれ、見てください」

窓の向こうにはショッピングセンター。

「古いものは消えていくんです。・・・自然なことですよ」
「・・・・」


グラスを磨く手を止めてマスターは言った。彼は何も言わず、立ち昇る湯気もろとも珈琲を飲み込んだ。哀しみと苦味で舌が黒く染まる。心地良いジャズの調べだけが店内には響いていた。窓の外を眺めながら、少しずつ、味わって珈琲を飲み干す。小さなカップはすぐ空になった。お礼を言い、金を払って店を出る。マスターに最後の挨拶、何か気のきいた台詞、言えればよかったが、言えなかった。言えばもうそれきりになるような気がして。


午後はまだ1時を回ったところであった。彼は喧騒の中を独り歩いて、街一番の大きいおもちゃ屋さんに向かう。久方ぶりの暇な年末は家でのんびり過ごすと決めていたので、何か、テレビゲームのような暇つぶしの道具を買う必要があった。

店は二階建て。一階は鉄道模型やミニカーといった子供向けの玩具で、彼の目的の物は二階に置かれていた。年末ということもあってか、店内は子供たちで賑わっていた。皆幸せそうな顔で、あれやこれや、陳列棚を指差して親にねだっている。家族たちをすり抜けて、二階に行く。

一時間粘った。何も見つからず、収獲はゼロだった。何処かに掘り出し物は無いだろうか、店内をうろつき回るうち、二階の片隅にある、特撮ヒーローのフィギュアコーナーに迷い込む。普段まるで人気が無く、たまの来訪者といえばヲタク野郎ばかりなこの場所に、小学3年ほどであろうか、少年が独りいた。物欲しげな目で棚を見上げている。視線の先にはウルトラマンのフィギュア。彼は昔を思い出して、少し嬉しくなった。彼もまた特撮ヒーローが好きだったからだ。

近くに行き、適当なフィギュアを手に取って眺める。

「ねえ、おじさん」
「ん?」
「・・・さっきからいるけど、おじさんも、ウルトラマンとか、好きなの?」
「ああ。昔はそういうテレビばっかり見てた。・・・ボウズはどうだ?」
「僕も好きだよ!カッコいいもん!・・・・みんな、そんなもの時代遅れだって言うけど」
「そうか・・・。今は、ゲームとか、パソコンとか、そっちの方が人気だしな。仕方ないさ」

暫しの沈黙。昔好きだったウルトラマンのフィギュアを二つ、手にとって、見比べる。すると、その様子を見ていた隣の少年曰く。

「オジサンも、子供の頃、ヒーローになりたかったの?」

少し考えて、答える。

「うーん・・・どうだろうな。なりたかった、かもしれない。なんにせよ、今はもう、諦めてるけどね」
「どうして?」
「年をとり過ぎたんだよ。現実が見えた、って言うのかな」
「寂しくない?」
「・・・わからない。でも少し、哀しかった、かもしれない」

「僕ね、大きくなったら、ウルトラマンみたいな大人になりたいんだ」
「それは、どうして?」
「みんなのヒーローだし、強いし、それに・・・何かを守るって、とても大切なことだと思うから」
「・・・それ、誰が言ってたの?」
「・・・お父さん」

少年はそう言って笑った。彼もつられて笑った。



店を後にした。手にはウルトラマンのフィギュア。二つ買って、一つを少年に与えた。嬉しそうな顔をした少年。何度も何度も、ありがとう、彼に言って、そのうちやってきた父親に手を引かれ、店の外に消えた。腕時計の短針は4を指していた。少しだけ薄らいだ雲の間から夕陽が差し込み、上空を茜色に染めている。郊外にある小高い丘。その頂上、ほとんど人気の無い展望台に、彼は来ていた。ここから見下ろす町の光景は、彼のお気に入りだった。仕事の帰り、時たまここに来て景色を見る。

自販機で缶珈琲を買った。ベンチに腰掛け、黄昏の街を見渡す。急速に開発が進んだ街は、昔から在る物を今や完全に駆逐しようとしていた。―――ふと遥か昔、ようやく此処での暮らしに慣れてきた頃を思い出す。最早霞んだ、セピア色の記憶である。銭湯の煙突、空き地で駆け回る子供、そして当時、子供達の英雄であった、あの眩い銀色の巨人―――。

少しばかり、眠ってしまったらしい。

手の甲の上、微かな冷たい感触に、目を開いた。薄闇が世界を覆っていた。上空から、何か白いものが降りてきていた。街灯に揺らめいて、きらきらと光る。雪だった。いつの間にやら、空は灰色で塗り潰されていた。眠りすぎたせいだろうか、少し頭が痛む。時計を見る。既に6時を回っていた。

―――始めよう。

彼は呟き立ち上がり、指輪をはめた手を天高く掲げる、宝石からあふれ出した淡い光が彼を優しく包み込み―――


・・・・。
・・・・・・・。
―――――。



―――そういえば、この星に初めて降り立った時も同じように粉雪が降っていた―――



―――――。
・・・・・・・。
・・・・。




永遠とも一瞬ともつかぬ時が流れ、やがて、光は消えた。彼は虚脱して、まるで倒れこむかのようにベンチに座りこんだ。溜め息を大きく一つ。缶を開け、黒色の液体を口に入れる。強めの苦味が広がる。

―――変身すら出来なくなったのは、果たして、いつからの事だっただろうか。


宝石の光は、いよいよ小さくなっていた。吹けば簡単に消えてしまいそうな光。指輪を外し、傍らに置いてあったフィギュアの肩に引っ掛ける。

―――英雄となったのは、果たして、いつからの事だっただろうか。

深呼吸。粉雪が少し、口の中に入った。立ち上がって、眼下の町、もうじき大晦日を迎える平和な集落を眺める。

そして―――

果たして、自分は本当に英雄だったのだろうか。

―――自分はこれから死ぬのだと彼は悟った。その確実な予感は即ち彼の絶望であり、同時に救いでもあった。どこか遠くに置き去りにした思念が、今まさに消えかかっているのを感じた。何か得体の知れない感情が彼を優しく包み込んでいた。一度だけ、祈るように目をつぶる。そして彼は、その英雄のフィギュアを、麓の街に向かって思い切り放り投げた。

薄闇に飲まれ、静かに消えゆく英雄の墓標。

溜め息を小さく一つ。展望台の先、手すりの上にあった薄い粉雪の層を払いのけた。露わになった木の肌に手をついて、景色を見る。―――降り注ぐ儚い雪の光は、いつか見た星の瞬きに似ていた。それは何時の事で、一体何処で見たのか、彼は今思い出すことが出来なかった。自分の中の何かが、決定的に消え去っているのを彼は感じた。それが一体何なのか、彼は今思い出すことが出来なかった。何処からか、微かに除夜の鐘の音が響いてくる。その静謐な響きに、言い様の無い何かを感じて、彼はうつむいた。涙が一筋、目から零れて垂れ落ちた。
―――『何かを守るって、とても大切なことだと思うから』

―――それでも、生きようと思った。一生消えぬ悔恨を胸に抱いて生きようと思った。遠く捨て置かれたあの日々の子供たちの姿を、今日出会ったあの少年の言葉を、彼は裏切るわけにはいかなかった。英雄は死んだ。もう甦ることは無い。それでも彼には守るべきものがあった。微かに残った英雄の忘れ形見を、彼は失うわけにはいかなかった。彼は顔を上げ、持っていた珈琲を一息で飲み干し、目尻に溜まった液体を指先で拭い去ると、無限に降りしきる白銀の煌めきを、消えて行ったモノたちのその先を、見つめていた。

――A certain year, Dec, 31.

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