ボトッ。
「あの〜、すいません。」
「はい、どうかしましたか?」
「ハンカチ落としになりましたよ。」
「あ、ありがとうございます。これお父さんの形見だったんです。
ホント、本当にありがとうございます。」
「いえ、おやすい御用ですよ。」
ハンカチを渡した瞬間、二人は目と目があった。ほほを二人は赤らめた。
って、なんだ。このべた過ぎる出会い。べた過ぎる恋愛へのプロローグは!!
そろそろ年越しの時期に入ってくる頃になってきたので、
ちょっと早い目の大掃除をしていました。
この早目の大掃除の裏には、早めに掃除しとけば、
だらだら過ごせる日にちが増えるという。
家族団欒の場で黙認された決定事項なのです。
その決定事項を敏腕で済ましていると、
汚れ気味のダンボールを見つけて、なんだろう?と思い、
取り出し開けてみると、アルバムや作文用紙が入っていた。
母にこれは何かと、聞いてみるとこれは母の小学生の頃のアルバム。
そして、作文とのこと。
普通、こういうのって実家に残しておくんじゃないかと思ったのだけれども、
母曰く、思い出は最高の美白効果なの。と、なんの戒めかはわからないけど、
意味深そうで浅そうな名言をおっしゃっておりました。
というか、意味がわかりません。
冒頭の始まりで書かれている文は、母の作文から抜粋したものです。
ここでは母小説とでも銘打っときましょうか。
もはや、出だしのハンカチが落ちたときの擬音語で
母のセンスを見出せてしまうわけですけど、
「ボトッ」ですらね。ハンカチが「ボトッ」ですからね。
鉛でも落ちたときのような音が、ハンカチを落としたときに奏でているわけだから、
もう驚きの一語です。いったい、どんな小学校生活を過ごせば、
このような驚愕なセンスが身に付くのでしょうか。
そのシュールな擬音語に続く、話の流れは出会い。
それは一見、ありふれたハンカチラブストーリーかと思いきや、
流石は母。ひとひねりの工夫が用いられていました。ハンカチが父の形見。
・・・そうそうありませんね。父の形見がハンカチなんて、普通形見と言えば、
・・・盆栽?・・あれ盆栽?・・・それ盆栽?・・す、すいません。
教養がゆとり教育のおかげでないに等しいもので、形見の例が盆栽しか、
思いつくことができませんでした。盆栽マンセー!
でもまぁ、あれですね。
母さん、僕は一生あんたについてきます。
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